アキバ殺傷事件で思ったこと 3
2008 / 06 / 13 ( Fri )
さて。
犯人の携帯ネット掲示板とやらに、「友達」からのコメントがあったそうです。その犯人はその掲示板の「主」というらしい。
私がニュースでみかけたのは、「主」からの、どうしたら彼女ができるか、という問いへの答えだったらしいんですが。
みんなはじめから親身に答えていたんだけど、そのうち「主」は拗ね出したものだから、「友達」の一人がそんな「主」の態度に対して非難をしたそうです。
その非難の言葉も、非難というか…相手を傷つけるようなヤジといったほうがふさわしいようなものが、あったようです。
「しねよ」なんて言葉も入っていたそうなんですよね。
うーむ。
通り魔事件の犯人や、これまでのおかしな凶悪事件の犯人も、まーそれはそれは簡単に人を殺すもんだね?と呆れるばかりなんですが、
よーく考えたら「死ね」っていう言葉だって、そもそも簡単に発していい言葉じゃないんですよネ。
これに対し私の友人が、
周りに死がなかったから想像出来なかったんじゃない?
といいました。確かに、災害や戦争や飢餓などで死が隣り合わせなところで、そんなセリフはまず出てこないでしょうしね…(相手が敵でない限り)
さらに別の友人は、
ニュースやブログのコメントについても、この手の凶悪犯に対して
「死んでくれ」の一言で済ませている人が多いと思う
と言っていました。
同感でした。
その人たちも、凶悪犯と一緒にされちゃたまらないとは思いますが、いとも簡単に死ねと口から出してしまう、そういう点では共通していると思いました。
彼らだって、面と向かっては死ねとはようよう言わないだろうに。
(それでも言う人もいそうだけど…)
そもそもニュースへのコメントってのは、社説じゃないけれども、ニュースに対する自分の考えを書くんだと思うのです。
決して「言葉のヘド」を吐いていいものではないのではないでしょうか?
犯人の携帯ネット掲示板とやらに、「友達」からのコメントがあったそうです。その犯人はその掲示板の「主」というらしい。
私がニュースでみかけたのは、「主」からの、どうしたら彼女ができるか、という問いへの答えだったらしいんですが。
みんなはじめから親身に答えていたんだけど、そのうち「主」は拗ね出したものだから、「友達」の一人がそんな「主」の態度に対して非難をしたそうです。
その非難の言葉も、非難というか…相手を傷つけるようなヤジといったほうがふさわしいようなものが、あったようです。
「しねよ」なんて言葉も入っていたそうなんですよね。
うーむ。
通り魔事件の犯人や、これまでのおかしな凶悪事件の犯人も、まーそれはそれは簡単に人を殺すもんだね?と呆れるばかりなんですが、
よーく考えたら「死ね」っていう言葉だって、そもそも簡単に発していい言葉じゃないんですよネ。
これに対し私の友人が、
周りに死がなかったから想像出来なかったんじゃない?
といいました。確かに、災害や戦争や飢餓などで死が隣り合わせなところで、そんなセリフはまず出てこないでしょうしね…(相手が敵でない限り)
さらに別の友人は、
ニュースやブログのコメントについても、この手の凶悪犯に対して
「死んでくれ」の一言で済ませている人が多いと思う
と言っていました。
同感でした。
その人たちも、凶悪犯と一緒にされちゃたまらないとは思いますが、いとも簡単に死ねと口から出してしまう、そういう点では共通していると思いました。
彼らだって、面と向かっては死ねとはようよう言わないだろうに。
(それでも言う人もいそうだけど…)
そもそもニュースへのコメントってのは、社説じゃないけれども、ニュースに対する自分の考えを書くんだと思うのです。
決して「言葉のヘド」を吐いていいものではないのではないでしょうか?
アキバ殺傷事件で思ったこと 2
2008 / 06 / 13 ( Fri )
ある方のブログで、被害者の応急処置にあたった産婦人科医、西條先生のブログが紹介されていました。
西條先生は、
私よりもそれを手伝ってくれた通行人の方たちにお礼をいってほしい、
と謙虚におっしゃって、また、
周りで興味本位で写真をとる人、電話をかける人にはひじょうに強い憤りを感じていらっしゃいました。
そして、そのブログを書いた方も同感、と。
以下、このブログを読んだ上での感想です。
私も、「興味本位」でそんなことをするなんて!と、憤ってはいますが…
たしかに、多くの手は必要だし、その場にいた人の数に比して、実際救護に当たった人の数は少なかったんじゃないかと思いました。
ですが、その場にいる人全てが実際に手を貸すわけにもいかないですよね。
その場の状況を伝えるべく、救護にあたる距離にいなかったり、救護の手が充分であった場合などは…その場の状況を伝えるのも、重要な仕事だと思うのです。
それを職業にしている人を、ジャーナリストといいます。
*****
そこで思ったこと。
まさに目の前で傷つけられている人がいて、手を伸ばせば助けられるという場合…
その人を助けるべきか、写真やビデオを撮るべきか。
人道的には生き物としては、助けるべきでしょう!
でも自分の仕事は、ここの惨状を世界に訴えること!
ああでも目の前で人が倒れていて。
いやここは冷静に!
…どうしよう〜〜〜〜〜〜
これ、昔からビジュアルジャーナリストが一度は抱くであろうジレンマなんですよね。
有名なのが、1994年ピュリッツァー賞を受賞した、「ハゲワシと少女」という写真。
これ、もちろん狙ったわけではなく、ふとしたときに撮ったものがそういう衝撃的な絵になったのだと聞きました。
が、その写真が世に出て、賞はとりましたが、「どーして目の前のコドモをハゲワシから救わなかったんだ!」という非難があがったそうです。それで撮影者は悩み、追い詰められ、数ヵ月後に自殺したとのことでした。
参考サイト
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no27.htm
http://homepage.tinet.ie/~manics/MSPedia/Carter.htm
ともあれ、西條先生やニュース日記の方が言っているのは、興味の方が勝っている人たちでしょう。
「電話」や「写真機」をみなが日常的にもちあるくようになったがゆえの現象ですが…
その場にいた全員が必ずしも、興味や好奇心だけで撮影、電話をしていたのではなかったと思います。 そう信じたい。
しかし、あとでニュースで知ったのですが、「救助を手伝わないで負傷者をのぞき込んだりするだけの人も」いたそうで。
…そういう輩は……。
……。
西条先生がおっしゃってたのは、この手の連中のことなんでしょう…ね。
私は…先にもちらっと述べましたが、「自分がこの場に置いて成すべき
事」を判断し、人を助けるなり、情報を外に配信するなりするでしょう。
もすこし細かく言えば、人を助けるのであっても、情報を配信するのであっても、自己の良心に於いておこなうべし、と判断すれば、すればいいと思うのです。
もすこしクドく言えば、情報を配信するのであっても使命感からするのであればすればいいし、逆に、人を助けるのであっても、興味や好奇心からその場に近づいていくのであれば、それは非難されるべき行為だと思います。
私は…もしその場にいたら、自分が実際にこの手を持って助けられるようであれば手を貸し、人ごみの遠くにいて身動きが取れなかったならば、写真を撮ってメールや電話をしたでしょう。
いい写真が撮れれば、マスコミに提供したり。
(※「いい写真」の定義を誤解されないよう。オカネになる、とか扇情的である、という意味ではありません。)
*****
話はかわりますが、あの9・11の様子を、私とサルタヒコはTVでリアルタイムで見ていました。
サルさんが1度目の激突のニュースをみて、今タイヘンなことになっている!というのでTVをみつめていたら、そのまま2度目の激突。
それからしばらくの間は、何度もその当時の映像がニュースで流れ、私とサルさんは大変だなどといっていました。
当時フォトジャーナリズムに傾倒していた私は、
「あの現場に私がいたら何をしたいと思っていると思う!?その場の様子を、世界中に伝えるため、写真を撮りまくるよ!」
と義憤に駆られて息巻くと、サルさん、
「私はナニをしたいと思う?ワタシはねー、そこにいる人を助けたいと思っているダヨ」
といったので、ホレ直したというわけでした。
ノロケはともかくとして、今でももしそういう状況にあったら、私とサルさんが取る行動は変わらないかと思います…。
ともあれ、携帯・写メが普及したお陰でこんな大変な事件に遭遇したときでも「まず写メ」なんていう行動が取らるようになったんですよね。
でもそうして写メするような人たちは、もちろんジャーナリストではなく一般の人なんであって。
ジャーナリストのジレンマなんて考えてないどころか、ジャーナリズム精神があるかどうかってのすらあるのかどうか。
機械や道具によって、専門的技術をもたない人でもたやすくイロイロなことができるようにはなりました。
ネットによって、普通の人が世界中に情報を発信、なんてのもその例の一つです。
しかし、技術だけプロのようにできても、意思はモラルは、どうなのだろう?と。
これまた、ネットやほかのあらゆる場合において、いえると思うのです。
西條先生は、
私よりもそれを手伝ってくれた通行人の方たちにお礼をいってほしい、
と謙虚におっしゃって、また、
周りで興味本位で写真をとる人、電話をかける人にはひじょうに強い憤りを感じていらっしゃいました。
そして、そのブログを書いた方も同感、と。
以下、このブログを読んだ上での感想です。
私も、「興味本位」でそんなことをするなんて!と、憤ってはいますが…
たしかに、多くの手は必要だし、その場にいた人の数に比して、実際救護に当たった人の数は少なかったんじゃないかと思いました。
ですが、その場にいる人全てが実際に手を貸すわけにもいかないですよね。
その場の状況を伝えるべく、救護にあたる距離にいなかったり、救護の手が充分であった場合などは…その場の状況を伝えるのも、重要な仕事だと思うのです。
それを職業にしている人を、ジャーナリストといいます。
*****
そこで思ったこと。
まさに目の前で傷つけられている人がいて、手を伸ばせば助けられるという場合…
その人を助けるべきか、写真やビデオを撮るべきか。
人道的には生き物としては、助けるべきでしょう!
でも自分の仕事は、ここの惨状を世界に訴えること!
ああでも目の前で人が倒れていて。
いやここは冷静に!
…どうしよう〜〜〜〜〜〜
これ、昔からビジュアルジャーナリストが一度は抱くであろうジレンマなんですよね。
有名なのが、1994年ピュリッツァー賞を受賞した、「ハゲワシと少女」という写真。
これ、もちろん狙ったわけではなく、ふとしたときに撮ったものがそういう衝撃的な絵になったのだと聞きました。
が、その写真が世に出て、賞はとりましたが、「どーして目の前のコドモをハゲワシから救わなかったんだ!」という非難があがったそうです。それで撮影者は悩み、追い詰められ、数ヵ月後に自殺したとのことでした。
参考サイト
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no27.htm
http://homepage.tinet.ie/~manics/MSPedia/Carter.htm
ともあれ、西條先生やニュース日記の方が言っているのは、興味の方が勝っている人たちでしょう。
「電話」や「写真機」をみなが日常的にもちあるくようになったがゆえの現象ですが…
その場にいた全員が必ずしも、興味や好奇心だけで撮影、電話をしていたのではなかったと思います。 そう信じたい。
しかし、あとでニュースで知ったのですが、「救助を手伝わないで負傷者をのぞき込んだりするだけの人も」いたそうで。
…そういう輩は……。
……。
西条先生がおっしゃってたのは、この手の連中のことなんでしょう…ね。
私は…先にもちらっと述べましたが、「自分がこの場に置いて成すべき
事」を判断し、人を助けるなり、情報を外に配信するなりするでしょう。
もすこし細かく言えば、人を助けるのであっても、情報を配信するのであっても、自己の良心に於いておこなうべし、と判断すれば、すればいいと思うのです。
もすこしクドく言えば、情報を配信するのであっても使命感からするのであればすればいいし、逆に、人を助けるのであっても、興味や好奇心からその場に近づいていくのであれば、それは非難されるべき行為だと思います。
私は…もしその場にいたら、自分が実際にこの手を持って助けられるようであれば手を貸し、人ごみの遠くにいて身動きが取れなかったならば、写真を撮ってメールや電話をしたでしょう。
いい写真が撮れれば、マスコミに提供したり。
(※「いい写真」の定義を誤解されないよう。オカネになる、とか扇情的である、という意味ではありません。)
*****
話はかわりますが、あの9・11の様子を、私とサルタヒコはTVでリアルタイムで見ていました。
サルさんが1度目の激突のニュースをみて、今タイヘンなことになっている!というのでTVをみつめていたら、そのまま2度目の激突。
それからしばらくの間は、何度もその当時の映像がニュースで流れ、私とサルさんは大変だなどといっていました。
当時フォトジャーナリズムに傾倒していた私は、
「あの現場に私がいたら何をしたいと思っていると思う!?その場の様子を、世界中に伝えるため、写真を撮りまくるよ!」
と義憤に駆られて息巻くと、サルさん、
「私はナニをしたいと思う?ワタシはねー、そこにいる人を助けたいと思っているダヨ」
といったので、ホレ直したというわけでした。
ノロケはともかくとして、今でももしそういう状況にあったら、私とサルさんが取る行動は変わらないかと思います…。
ともあれ、携帯・写メが普及したお陰でこんな大変な事件に遭遇したときでも「まず写メ」なんていう行動が取らるようになったんですよね。
でもそうして写メするような人たちは、もちろんジャーナリストではなく一般の人なんであって。
ジャーナリストのジレンマなんて考えてないどころか、ジャーナリズム精神があるかどうかってのすらあるのかどうか。
機械や道具によって、専門的技術をもたない人でもたやすくイロイロなことができるようにはなりました。
ネットによって、普通の人が世界中に情報を発信、なんてのもその例の一つです。
しかし、技術だけプロのようにできても、意思はモラルは、どうなのだろう?と。
これまた、ネットやほかのあらゆる場合において、いえると思うのです。
アキバ殺傷事件で思ったこと 1
2008 / 06 / 13 ( Fri )
先の秋葉原通り魔事件…
ちょうどそのころ、私はキャッキャと楽しく少林寺の練習をしていたわけですが。
秋葉原にはミャンマー関係の友人知人が多数集まっていたころで。
サルスケからの着信も、私の安否を確かめるためではなく、助けを求めるものだったらどうしよう!?と、確認するまでは気が気ではなかったし。
とにかく、慄然とさせられる事件でした。
これまでの時点で、思ったことが幾つかありますので書きおきたいと思います。
まずは、友人との会話が元になって思ったこと。
2点において、この事件の教訓を得るべしと思ったことがありました。
一つは、護身。
都心、人ごみに出るのは怖い…しかし誰でもどこでも被害にあわないとは限らない。
もし自分が現場にいたらどうするか、狙われて襲わたらどうするか、人が襲われたのをまのあたりにしたら、その人を助けるのか、犯人を捕えるのか、…など。
少林寺拳法のイメトレも、普段からちょくちょくするんですが、こういう場合でのイメトレもしてみてもいいかなと思いました。
もっとも、少林寺拳法の開祖はまず大声を上げて逃げろ、と、「生兵法は大怪我の元」の考えをベースにしたことを実際は教えていたそうです。
そりゃねえ、さすがにあの状況でどんな武術の達人が、2tトラックをぶちのめせます?(笑)
ところで私が思う護身の極意は、「どんな状況になってもあきらめない」、これに尽きると思います。
突き飛ばされても、刺されても、引きずり倒されても、連れ込まれても、もうだめだと思っても、殺されても(?)あきらめない…。
冗談ではなく、このことがいざという時に命運を分けることがあると思っています。
どうせ騒いでも騒がなくても殺されようというなら、本気で抵抗しむべし、助からんとすべし。
*****
さて、もう一つの教訓は、「予防」です。
警備、警戒は言うに及ばずですが、こういう事件を起こそうとする人を作らないようにすることも重要かと。
もちろん、してはいけないことをしてしまった者には、相応の罸を与えるべしと思います。
が、事件が起きるまえに救い出せれば、その人は「犯人」にならず、被害者も生み出さずにすむかもしれないではないですか。
ある人が発する黄信号をみつけ、フォローする術はないものでしょうか…?
このことに関し、友人の一人はこんなことをいいました。
もっと想像力というものを大切にした社会、をつくっていきたい!
と。博愛精神に満ち溢れた彼らしい意見で、聞いてすがすがしくなりました。
そしてさらに、そのためには
まずなによりも、ひとりひとりが自分にとって大切なものを大切にしていくこと
といいました。
そうですね。
私も以前、身近な人間関係の中で、「自分を大切にできない人は他人も大切にできない、他人を愛せるにはまず自分を愛せないといけない」なんて事に気づいたのです。
そして、その友人の言葉でさらに確信を得ました。
この「自分を大切に、愛する」というのは、決してエゴやわがままとは違うんだよね。
結局、あらゆる状況にいえることなのですが、自分にゆとりのない人は、他の人のことを思うゆとりが生まれないんですよね。これ、実体験済み(苦笑)。
人や世の中のことも心配だけど、みんな、自分のことを、愛せていますか。
大事なものを、みなおしてみませんか?
なに、ありゃしないって?
いえ、誰でも、持っているんですよ。
ちょうどそのころ、私はキャッキャと楽しく少林寺の練習をしていたわけですが。
秋葉原にはミャンマー関係の友人知人が多数集まっていたころで。
サルスケからの着信も、私の安否を確かめるためではなく、助けを求めるものだったらどうしよう!?と、確認するまでは気が気ではなかったし。
とにかく、慄然とさせられる事件でした。
これまでの時点で、思ったことが幾つかありますので書きおきたいと思います。
まずは、友人との会話が元になって思ったこと。
2点において、この事件の教訓を得るべしと思ったことがありました。
一つは、護身。
都心、人ごみに出るのは怖い…しかし誰でもどこでも被害にあわないとは限らない。
もし自分が現場にいたらどうするか、狙われて襲わたらどうするか、人が襲われたのをまのあたりにしたら、その人を助けるのか、犯人を捕えるのか、…など。
少林寺拳法のイメトレも、普段からちょくちょくするんですが、こういう場合でのイメトレもしてみてもいいかなと思いました。
もっとも、少林寺拳法の開祖はまず大声を上げて逃げろ、と、「生兵法は大怪我の元」の考えをベースにしたことを実際は教えていたそうです。
そりゃねえ、さすがにあの状況でどんな武術の達人が、2tトラックをぶちのめせます?(笑)
ところで私が思う護身の極意は、「どんな状況になってもあきらめない」、これに尽きると思います。
突き飛ばされても、刺されても、引きずり倒されても、連れ込まれても、もうだめだと思っても、殺されても(?)あきらめない…。
冗談ではなく、このことがいざという時に命運を分けることがあると思っています。
どうせ騒いでも騒がなくても殺されようというなら、本気で抵抗しむべし、助からんとすべし。
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さて、もう一つの教訓は、「予防」です。
警備、警戒は言うに及ばずですが、こういう事件を起こそうとする人を作らないようにすることも重要かと。
もちろん、してはいけないことをしてしまった者には、相応の罸を与えるべしと思います。
が、事件が起きるまえに救い出せれば、その人は「犯人」にならず、被害者も生み出さずにすむかもしれないではないですか。
ある人が発する黄信号をみつけ、フォローする術はないものでしょうか…?
このことに関し、友人の一人はこんなことをいいました。
もっと想像力というものを大切にした社会、をつくっていきたい!
と。博愛精神に満ち溢れた彼らしい意見で、聞いてすがすがしくなりました。
そしてさらに、そのためには
まずなによりも、ひとりひとりが自分にとって大切なものを大切にしていくこと
といいました。
そうですね。
私も以前、身近な人間関係の中で、「自分を大切にできない人は他人も大切にできない、他人を愛せるにはまず自分を愛せないといけない」なんて事に気づいたのです。
そして、その友人の言葉でさらに確信を得ました。
この「自分を大切に、愛する」というのは、決してエゴやわがままとは違うんだよね。
結局、あらゆる状況にいえることなのですが、自分にゆとりのない人は、他の人のことを思うゆとりが生まれないんですよね。これ、実体験済み(苦笑)。
人や世の中のことも心配だけど、みんな、自分のことを、愛せていますか。
大事なものを、みなおしてみませんか?
なに、ありゃしないって?
いえ、誰でも、持っているんですよ。
母子(おやこ)散景
2008 / 01 / 08 ( Tue )
*****
私は母ぐらいの年齢の女性に
妙に受けがいい。
私を可愛がってくれる女性の一人で、
私が「○○の母」と密かに呼んでいるひとは
毎日私のことを祈ってくれているそうだ
*****
友人であるNさんは、娘のAちゃんのしつけを
非常にきちんとしている。
おかげでAちゃんはとてもいい子だ。
しかし時として、私から見ると
Aちゃんへの態度がクールでドライに見えることもしばしば。
しかしやっぱりAちゃんはお母さんが大好きで、
お母さんもAちゃんが大好きなのだ。
あるときNさんがすべってしたたか腰をうったとき
周りは相当心配したが、
一番心配していたのはAちゃんだったよ
*****
ファミレスでちょっとうるさい男の子たちあり
たまたま注意したところ
その子たちも態度はよろしくなかったが
その母親の一人が反省するどころか
キレ返して、険悪な言い合いに。
その子達は有名な進学塾に通っているのがわかり暗澹とした。
もし一流大学一流企業と
呼ばれるところに勤めたならばどうなるだろう
あともう一つ気にかかったのは
その母親の友人らしき、もう一人の子の母親らしき人
「イヤミなオバハン」にくっついているような
気が弱そうな人。
顔を真っ赤にして、連れの母親と対抗する私をニラもうとがんばっていて
旦那さんにも姑にも何もいえなさそうな
いじらしいとさえ思わせるような
母親
*****
上野からの山手線に乗っていると
わーわーぎゃーぎゃーと泣き叫ぶ声
「どーぶつえんどーぶつえん、どーぶつえんいきたかったよー!!!」
かなり混雑した車両中に響き渡る男の子の叫び声
「どーぶつえん行きたかったのにー
お母さんのバカ!バカ!わー!!!」
ふりむけば私の背後の座席の端に座っている母子。
そしてちょうど、その座席の私の真後ろにいる
ちょっとこわもての初老の紳士と目が合って
お互いにっこりニヤリ。
男の子は2駅3駅と同じように泣き叫んでいたが、
東京駅に近づくあたりでついに
「お母さんなんか大嫌いだー、もう、お母さんなんか…
出ろー!うちから出ろー!!!」
ウチから出て行けといいたかったのだろうが、
乗客はみなついに失笑をこらえきれず。
そこここで笑い声がもれた。
*****
いつまでも世話を焼かれている私、
いつのまにか親をたしなめるようになった私。
*****
ある口コミサイトで、
女性疾患の手術について質問した女性がいた。
医者からは開腹手術を勧められたができれば
腹腔鏡で体に傷をつけずにすませたいとのこと。
しかし話をきいてみれば、開腹するのが自然なようで
なぜそこまでこだわるのかと思っていたが、
そのうち彼女は、実は彼女本人ではなく
まだ中学生の娘さんのことなのだと話した。
自分より、娘の体を大事に思うものなのだなあ。
****+
私は母ぐらいの年齢の女性に
妙に受けがいい。
私を可愛がってくれる女性の一人で、
私が「○○の母」と密かに呼んでいるひとは
毎日私のことを祈ってくれているそうだ
*****
友人であるNさんは、娘のAちゃんのしつけを
非常にきちんとしている。
おかげでAちゃんはとてもいい子だ。
しかし時として、私から見ると
Aちゃんへの態度がクールでドライに見えることもしばしば。
しかしやっぱりAちゃんはお母さんが大好きで、
お母さんもAちゃんが大好きなのだ。
あるときNさんがすべってしたたか腰をうったとき
周りは相当心配したが、
一番心配していたのはAちゃんだったよ
*****
ファミレスでちょっとうるさい男の子たちあり
たまたま注意したところ
その子たちも態度はよろしくなかったが
その母親の一人が反省するどころか
キレ返して、険悪な言い合いに。
その子達は有名な進学塾に通っているのがわかり暗澹とした。
もし一流大学一流企業と
呼ばれるところに勤めたならばどうなるだろう
あともう一つ気にかかったのは
その母親の友人らしき、もう一人の子の母親らしき人
「イヤミなオバハン」にくっついているような
気が弱そうな人。
顔を真っ赤にして、連れの母親と対抗する私をニラもうとがんばっていて
旦那さんにも姑にも何もいえなさそうな
いじらしいとさえ思わせるような
母親
*****
上野からの山手線に乗っていると
わーわーぎゃーぎゃーと泣き叫ぶ声
「どーぶつえんどーぶつえん、どーぶつえんいきたかったよー!!!」
かなり混雑した車両中に響き渡る男の子の叫び声
「どーぶつえん行きたかったのにー
お母さんのバカ!バカ!わー!!!」
ふりむけば私の背後の座席の端に座っている母子。
そしてちょうど、その座席の私の真後ろにいる
ちょっとこわもての初老の紳士と目が合って
お互いにっこりニヤリ。
男の子は2駅3駅と同じように泣き叫んでいたが、
東京駅に近づくあたりでついに
「お母さんなんか大嫌いだー、もう、お母さんなんか…
出ろー!うちから出ろー!!!」
ウチから出て行けといいたかったのだろうが、
乗客はみなついに失笑をこらえきれず。
そこここで笑い声がもれた。
*****
いつまでも世話を焼かれている私、
いつのまにか親をたしなめるようになった私。
*****
ある口コミサイトで、
女性疾患の手術について質問した女性がいた。
医者からは開腹手術を勧められたができれば
腹腔鏡で体に傷をつけずにすませたいとのこと。
しかし話をきいてみれば、開腹するのが自然なようで
なぜそこまでこだわるのかと思っていたが、
そのうち彼女は、実は彼女本人ではなく
まだ中学生の娘さんのことなのだと話した。
自分より、娘の体を大事に思うものなのだなあ。
****+
初個展を終えて
2007 / 07 / 01 ( Sun )
先日、無事「岩良かおる@フレッシュネス展」が終了となりました。
はじめは個展をしようという大それた考えもなく、ただ、お店に絵を飾らせてもらう、それだけだったのですが…
DMを作ったり皆さんに応援してもらったりしているうちに、個展らしくなっていったというのが本当のところです。
それにしても、実際友人知人が何人も来てくれたのは、ものすごいことです。
「ご近所」のセツ関係者のみならず、1,2時間はかかろうかというところからわざわざおいでくださった方も何人かいらっしゃいます。
いくら「友人知人」の個展だからとはいえ、そうして足を運んでくれるというのは、ものすごいことですよね。
ものすごくありがたいことです。
また、会期中は、周りに応援してもらったり感想を言ってもらったりと、幸いと、励ましてもらえることばかりでした。
私はいわゆる「ほめられて伸びる子」ですので、これもありがたいことでしたね(笑)
いずれにせよ、今回の個展が大きな糧となったことは事実。
この長い3週間の間、自分の中で考えたりまとまったりしてきたこともありました。
これからも、少しでもよいものを発信していきたく思います。
みなさまどうぞよろしく!!!
岩良かおる
P.S.
最終日翌日、つまり7月1日(日)夕方からは次のアーティストの方の展示が、同じく「フレッシュネスバーガー曙橋店」にて行われます。
先月の展示を見逃してしまった方は、どうぞこちらもご覧下さい。
はじめは個展をしようという大それた考えもなく、ただ、お店に絵を飾らせてもらう、それだけだったのですが…
DMを作ったり皆さんに応援してもらったりしているうちに、個展らしくなっていったというのが本当のところです。
それにしても、実際友人知人が何人も来てくれたのは、ものすごいことです。
「ご近所」のセツ関係者のみならず、1,2時間はかかろうかというところからわざわざおいでくださった方も何人かいらっしゃいます。
いくら「友人知人」の個展だからとはいえ、そうして足を運んでくれるというのは、ものすごいことですよね。
ものすごくありがたいことです。
また、会期中は、周りに応援してもらったり感想を言ってもらったりと、幸いと、励ましてもらえることばかりでした。
私はいわゆる「ほめられて伸びる子」ですので、これもありがたいことでしたね(笑)
いずれにせよ、今回の個展が大きな糧となったことは事実。
この長い3週間の間、自分の中で考えたりまとまったりしてきたこともありました。
これからも、少しでもよいものを発信していきたく思います。
みなさまどうぞよろしく!!!
岩良かおる
P.S.
最終日翌日、つまり7月1日(日)夕方からは次のアーティストの方の展示が、同じく「フレッシュネスバーガー曙橋店」にて行われます。
先月の展示を見逃してしまった方は、どうぞこちらもご覧下さい。


